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Kurage 名言トラッカー|場面

謙虚さを忘れないためにに贈る言葉

うまくいっているときほど思い出したい、おごらないための言葉です。

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謙虚さを忘れないためにの言葉 30件

あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。宮沢賢治『虔十公園林』頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。寺田寅彦『科学者とあたま』 1933年富士には、月見草がよく似合ふ。太宰治『富嶽百景』 1939年此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。森鴎外『高瀬舟』 1916年共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。中島敦『山月記』 1942年至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし中島敦『名人伝』 1942年入れものが無い両手で受ける尾崎放哉『尾崎放哉選句集』己れを愛するは善からぬことの第一也。西郷隆盛『南洲翁遺訓』幸福は人格である。三木清『人生論ノート』 1941年今日の貧賤に素行する能はずば、乃ち他日の富貴に、必ず驕泰ならん。今日の富貴に素行する能はずんば、乃ち他日の患難に、必ず狼狽せん。佐藤一斎『言志四録(西郷隆盛『南洲手抄言志録』)』人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを盡て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。西郷隆盛『南洲翁遺訓 二五』 1890年刊總じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るゝぞ。西郷隆盛『南洲翁遺訓 二一』 1890年刊茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。岡倉天心『茶の本』 1906年(英文で出版)おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。岡倉天心『茶の本』 1906年(英文で出版)確かに自分を責めるという事ほど有力に自分の欠陥を補えることはなく、自分の欠陥を補うことほど自分に成功者の資格を得させることの無いのは明らかである。幸田露伴『努力論(現代訳)「運命と人力と」』 1912年吾人は、いかなる低き、いわゆる卑しき職に従事しても心一つは高く持ちたい。新渡戸稲造『自警録』 1916年由よ、お前に『知る』ということはどういうことか、教えてあげよう。知っていることは知っている、知らないことは知らないとして、すなおな態度になる。それが知るということになるのだ。孔子『論語 為政篇(下村湖人『現代訳論語』)』人が自分を知ってくれないということは少しも心配なことではない。自分が人を知らないということが心配なのだ。孔子『論語 学而篇(下村湖人『現代訳論語』)』弱い者は、決して人を許すことができない。許すことは、強い者のしるしである。マハトマ・ガンディー『カラチでの記者会見(『ヤング・インディア』1931年4月2日号)』 1931年3月23日なし終えたことには目がいかないものです。見えるのは、これからなすべきことだけです。マリー・キュリー『兄への手紙』 1894年よい人とはどうあるべきかを論じて、これ以上時間をむだにするな。よい人であれ。マルクス・アウレリウス『『自省録』第10巻16』素朴さと、善と、真実のないところに、偉大さはない。レフ・トルストイ『小説『戦争と平和』第14編18章』 1869年わたしが遠くまで見渡せたのだとすれば、それは巨人たちの肩の上に立っていたからです。アイザック・ニュートン『ロバート・フックへの手紙』 1676年2月15日世の中にわたしがどう見えているかは知らない。けれど自分では、海辺で遊び、ときどき人より滑らかな小石やきれいな貝がらを見つけて喜んでいる少年にすぎなかったように思う。真理の大海は、まだ何も知られないまま目の前に広がっていたのに。アイザック・ニュートン『晩年の言葉(ブルースター『ニュートンの生涯』)』 1855年刊手本は、いちばん大事なことではない。ただひとつの大事なことだ。ただし、手本を示す人が「わたしは手本を示している」と思っていなければ、の話だ。アルベルト・シュヴァイツァー『伝記『God's Own Man』が伝える言葉』 1952年微生物の力を借りているだけ。私が偉いことをしたのではない大村智『ノーベル賞受賞決定の記者会見』 2015年10月真理を覆うベールを一枚めくっただけ山中伸弥『ノーベル賞受賞決定の記者会見』 2012年10月8日政治に求められるのは、いつの世も、正心誠意の四文字があるのみです。意を誠にして心を正す。野田佳彦『第178回国会 衆議院本会議 所信表明演説』 2011年9月13日「常に国民とともに、国民に学ぶ」という自分の政治信条を大切にし、村山富市『第130回国会 衆議院本会議 所信表明演説』 1994年7月18日今や我が国は、国も国民も背伸びをせずに、自然体で内容本位の生き方をとるべき時代を迎えていると感じております。細川護熙『第127回国会 衆議院本会議 所信表明演説』 1993年8月23日

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